歴史も醸し続けた木桶仕込み

木桶文化の伝統

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木の桶の歴史は古くからあり、室町時代から文献に登場しており、そこから現代にいたるまで、桶によって幾多もの発酵食品が醸されてきました。

まず、酒屋さんが木材をそろえて新桶を作り日本酒を醸造しておりました。日本酒は水分が多く、塩分もないため30年くらいで寿命が来ます。

その酒屋として寿命を迎えた桶は、味噌屋さんや醤油屋さんそして、漬物屋さんなどが買い取り、木桶で発酵食品を醸していきました。

発酵の微生物と塩気の影響で木が朽ちることなく100年近くは桶が日持ちすることになります。

しかし、戦後日本は高度経済成長と共に、大量消費、大量生産の時代を迎えます。

その時代で大きく発酵文化は変化していきました。

大量生産に不向きで、異物混入の可能性のある木桶はやがて、ステンタンクやFRP(強化プラスチック)の容器に取ってかわるようになりました

課税対象である日本酒を木桶で仕込むと、自然に欠減が発生してしまうことも拍車をかけました。

こうして、大きな木桶がずらりとならんだ蔵元さんの風景はどんどん見なくなりました。

しかし、桶で仕込むと個性的でステンタンクでは醸せないお味噌ができます。

桶仕込みは仕込んでいくうちに菌が宿って『桶くせ』とよばれるその桶特有の風味を醸してくれます。

味噌屋ではじめて木桶を注文した100年桶

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酒屋が桶を作らないと中古の桶が流通しないので、味噌業界も桶仕込みはどんどん減っていきました。

また、食べ物の衛生度を向上させるためや品質を一定にするにはステンレス製などの容器が絶好の容器でした。

とある蔵元さんは木桶をすべてやめて、ステンタンクで仕込んだら、お味噌の欠減がなくなって、経常利益で5%以上も改善できた…。のような話をお聞きしたこともありました。

しかし、マルカワみそは一年寝かした木桶仕込みをやめませんでした。理由は桶で仕込んだ方が美味しいと確信しているからです。むしろ逆に桶を手放す蔵元さんから積極的に桶を頂きました。

2000年代になると桶の職人さんの高齢化、後継者不足によって、大桶を作れる人は激減しました。また、桶を作れる環境が大きく変わり、桶を作れる環境が桶を満足に機能していないことに気づきました。

そして2005年に一つの決意を行います。それは『新しく桶を新調する』ということです。

桶屋の棟梁に言われました。『40年ほど桶の商売しているけど、味噌屋が桶を注文するのははじめてのことや…』と。

この桶は100年間お味噌を仕込み続ける事ができます。

100年後の未来。2105年。それは今生きている人の殆どがこの世にはいないのですが、この桶は100年後もお味噌を醸します。

100年後もこの木桶からお味噌が醸せてそのお味噌汁から、輝かしい未来が作りだしていけると確信を持っております。

桶作りの文化を途切らせはしない!桶作りから始める味噌作り

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2005年の桶を新調してから10年後…。大桶を作れる職人さんは大阪でただ1人になりました。

この桶屋さんが廃業したら、マルカワみそだけでなく、味噌業界の桶はどうなるのだろうか??

この木桶で仕込む風景は100年後のマルカワみその社長は見れないのだろうか??味噌業界で木桶というのは写真や博物館での展示資料になってしまうのだろうか??

そんな事を感じました。桶の文化、技術は消えてしまうかもしれません。しかし、自分たちでできることはないだろうか??

そんな中、一つの決断をしました。それは、桶屋に修行に行こう!ということです。

こんな事をする味噌屋はおそらくどこもいないでしょう。桶が無くなってもお味噌はできますし、短期中期的には何も問題ないかもしれません。

しかし、100年後のことを考えると、この文化や技術を少しでも継承できて、桶の維持、保全ができたら桶の文化も残っていくと感じました。

マルカワみその常務で工場長が住み込みで桶の修行を行いました。

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また、この学んだことはこれからの味噌作りにも必ず活きてくると確信しました。

昔からの桶の文化をこれからも大切にする味噌作りをマルカワみそは行っていきます。

お味噌という発酵文化と木桶文化を考えてみる

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お味噌も木桶も1000年以上前から日本人に馴染みがあり、日本人の心を支えてきました。

産まれた時はたらい、亡くなった時は棺桶と桶で産まれて桶で最後を迎えておりました。

お味噌も朝起きると、トントントンと朝ごはんの支度をする包丁の音が聞こえてきて、みそ汁の温かい香りが漂って1日が始まります。

また、家に帰ってくると、ご飯とみそ汁を食べながら、今日あったことやいろんな出来事を家族みんなで共有しあっていました。

そんな毎日、そんな家族生活が一昔前の日本でした。

このような風景はそう遠くない時代のよくある風景でした。今より、モノは豊かではなかったかもしれませんが、心の面では温かさと優しさで豊かだったかもしれません。

文明や文化はどんどん栄えていきますし、変わっていくものです。それは自然の出来事でありあます。

しかし、モノを大切にしたり、感謝の気持ちであったり、日本の伝統を大切にする文化がないがしろになっているような時代の流れを感じます

味噌やいち企業のできることはほんの小さなことかもしれません。また、大きな時勢には逆らえないかもしれません。

しかし、私達は全力で桶仕込みの味噌作りを仕込み続けていきます。それが天命なのでは?と最近、考えるようになりました。

そのような思いから今日も元気に味噌作りをしております。

この記事は 河崎紘徳(かわさきひろのり) が書きました
2007年マルカワみそ入社。
2015年福井県最年少でみそ一級技能士合格(国家資格である技能検定制度)
味噌屋の息子として産まれ、世の中の方々に有機のみそ、自然栽培のみその
”素晴らしさ”、”美味しさ”、”楽しさ”を
広めていくのが私の使命だと思い、お客様のため一生懸命、麹作り、甘酒作り、味噌作りに励んでおります。

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