オーガニック・無添加・食品のお店

一枚の絵画と自分が中学校の頃のマルカワみそ

自分の部屋を掃除していたら、一枚の絵画が出てきた。

自分の部屋を先日掃除をしました。

色々とごちゃごちゃしたものがたくさんあったので、古い服や使わないタンス、布団などを一掃しました。

非常にさっぱりとして気持ちいい部屋になりました。

その時に一枚の絵画が出てきました。

河崎紘一郎12歳作

味噌のお手伝いorお仕事の絵がでてきました。

とても、12歳の画力と思えないくらい、下手っぴな絵ですね(笑)緑ばっかりです(汗)緑一色(リューイーソー)とでも名づけましょう(笑)

けど、自分の中でよく当時、この絵が描けたなぁ…と思いました。

理由は簡単です。小学校の時まで、自分の家の職業が嫌だったからです。

小学6年生の時か中学1年生の時に『自分の家の仕事が何をやっているのか?』を理解

小学校低学年の時は、自分の家が『味噌屋』ということが非常に嫌でした…。

なぜかというと、小学校の時は、身体的特徴やいろんな特徴で『あだ名』をよくつけられます。

その時に、自分の場合は家が味噌屋だったので、『味噌屋』とか『お味噌』と呼ばれていたのを覚えています。

また、自営業ということもあり、母や父は多忙で、家族のふれ合いとかよりも、仕事の方が優先でだったと思います。

そのかわり、亡くなった祖母がよく、自分の面倒を見て下さり、いつも『おばあちゃん子』でした♪

本当に本当に、おばあちゃんが大好きでした…

中学校の時くらいに、無農薬のお米をいただく

そんな、親子のふれあいが非常に少ないなか、祖母がなくなり、時間は経ちました

その時、マルカワみそは父が『どうしても、無農薬のお米と大豆でお味噌を作りたい…』という
思いから、周囲と家族の反対を押し切って、自分で無農薬の田んぼをやり始めました…。

ちょうど今くらいの、実りの秋を迎えた時に、父が作った、お米をいただきました。

その時、頂いた感想は『おぉっ、めっちゃおいしい!!!』でした。

今までのゴハンは何だったのだろうか?と思いました。今でもあの味を覚えています。

その時くらいから、『あ~親父はこんなことをしているのだなぁ…』となんとなく理解し始めました。

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