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会長が『徳を積め』と教えてくださいました。しかし、徳とはなんでしょうか?陰徳と陽徳、そして上徳、下徳というのが徳にはある。

徳は孤ならず必ず隣ありby論語

私が駆け出しの時の出来事でした。この会社の会長でもあり、祖父がこのようなことを言われました。

いいか、商売人というのは、金を積んだらだめなんや。徳を積まなあかんのや

お金を積むとやっかみや妬みなどが生まれる。縁ある全ての人を幸せすることはできないし、つこたら無くなってしまう。お金で人間や自分が駄目になることもあるんやぞ。

しかし『徳を積む』と縁ある方々がすべて幸せになるし、使っても無くならない。徳で人がダメになったとは聞いたことがない。お金と徳、どちらが大切かといったら徳なんや

と今から10年ほど前でしょうか?そんな事を教わりました。

『金を積むな、徳を積め』大切な考え方ですね。

しかし、徳を高めるってどうすればいいんでしょうかね?

ブリタニカ国際大百科事典にはこう記載されています。

哲学,宗教の中心的課題の一つ。
倫理的,道徳的善に対する意志の恒常的志向性,ないしは善を実現する恒常的能力をいう。
したがってそれがみずからの修練によるものであるか否かを問わず身についたものでなければならない。

プラトンは徳を有益と結びつけて論じ,賢明,剛毅,節制,正義の四つの徳をあげている。
キリスト教哲学でこれら枢要徳としての倫理徳に,神との関係に立つ三つの対神徳 (信仰,希望,愛) を加えた。
儒教では仁,義,礼,智,信,父子の親,君臣の義,夫婦の別,長幼の序,朋友の信などいわゆる五倫,五常を総称して徳という。
アリストテレスは倫理的な卓越性 (徳) は本性的に与えられているのではなく,行為の習慣化によって生じる状態 (ヘクシス) とし,中庸において成立する行為選択の状態を徳とする (たとえば恐怖と平然の中庸としての勇敢) 。
ストア派は理性的自然的生活を徳とし,エピクロス派は真に快の何たるかを洞察する能力を徳としている。
近代以後では欲望を正しい知識と合致させようとする意志のうちに徳をみるメランヒトンの規定や,徳を義務に従う道徳的強さとするカントの見解が代表的である。

うーん。言葉が難しいですね。

デジタル大辞泉には下記のように説明されています。

精神の修養によってその身に得たすぐれた品性。人徳。「徳が高い」「徳を修める」→徳目
2 めぐみ。恩恵。神仏などの加護。「徳をさずかる」「徳を施す」
3 ⇒得(とく)1
4 富。財産。
「―いかめしうなどあれば、…家の内もきらきらしく」〈源・東屋〉
5 生まれつき備わった能力・性質。天性。
「鳥といっぱ、高く飛ぶをもってその―とす」〈仮・伊曽保・下〉

色々と自分で勉強していくうちに、世の中には善と悪があって『自分の生き方、在り方が善の方に向かう姿勢や行いが徳』とも定義できると私は感じました。

『徳を高める』ことは非常に大切な事ですが、この徳には様々な種類があることが分かりました。

それは陰徳と陽徳、そして、上徳、下徳があることです。

簡単にまとめると下記のようになります。

  • ○陽徳⇒はっきりと周りの人に見えるように行う徳のこと
  • ○陰徳⇒人に知られないようにひそかにする徳のこと。
  • ○下徳⇒『徳を積もう!』『徳を積まないといけない』と自分で意識をして徳を積む行為のこと。
  • ○上徳⇒徳を積むなどの自我意識を持たず、少しも報いを求めず、無為にして、人を愛して、無為にして善の行いを行う行為のこと。

このように定義できます。

いろんな種類の徳があること分かりますね。

どれが良い、悪いということではなく、自分も徳を高めるためには、少しでも陰徳を積んでいこうと決意。

知っていることと行っている行動を合わせるために一致させる。会長も非常に難しいモノを積めと注文したもんです。行う事がどれだけ難しいか、、、(汗)。

一歩一歩頑張っていきます。会長ありがとうございます。

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