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秋月辰一郎著『死の同心円』を読んで原爆と戦争の悲惨を感じた

秋月辰一郎氏は原爆の凄まじさを死の同心円で本にした

秋月辰一郎(あきつきたついちろう)著『死の同心円』を読んだ。

秋月辰一郎著『死の同心円』

『体質と食物』という本を読んだことはあるが、
『ドクターアキツキ』=『死の同心円』となるくらい、
こちらの本の方が有名。

体質と食物は秋月氏の食べ物や体質に関することが
中心に書かれていますが、
死の同心円は原子力爆弾が投下されたときの
ことや、原爆についてこと細かく書かれていた。

タイトルの『死の同心円』は原爆病の被害の大きさと恐ろしさ

タイトルの死の同心円というのは
原爆病にかかって、さまざまな病になっていく方の
範囲が原爆投下位置から刻刻と広がっていった由来から
来ている。

特に、秋月氏は被爆してから、8月下旬から10月の終わりまで、
『死の恐怖』に追いやられた…。

毎日、毎日『死の同心円』=(原爆病の被害の範囲) が
広がっていく。

もうすぐ、この病院にも来る…。

そんな、死の灰の恐怖が死の同心円のタイトル。

熱い、水をくれ…

死の同心円の第二章にあたる40ページから80ページは
非常に、息をのんだ。

8月9日午前11時に原爆が投下された時に
昼間というのに、あたりは、真っ暗。

死屍累々。

爆弾を直撃した人は
すべて、『熱い、水をくれ…』と
うめいた。

病院は、設備も、医書も、薬も何もかも
吹っ飛んだ。

中でも印象的なのは、病院が火の海に覆われた時、
外に行くため、つっかけ草履をどうしても履き換えたかった。

しかし、自分の部屋にお気に入りの靴が3足あったが、一つも
爆風の為見つからなかったと書いてあった。

お陰で、つっかけ草履で何日も走り回り、
足の裏に放射能を受けたとのこと。

野宿、朝から晩までずーっと薬も器具もないのに治療…。

自分も逃げたかった…と著書に書いてあった。

それに立ち向かった名医。

人間らしい葛藤が名医にもあったと感じた。

原爆後生き残った人も悲惨

原爆の直接的な被害を受けなかった人も、
間接的なことに苦しんだ。

火傷などの傷害でなくなった方は静かに考える暇もなく、
亡くなっていくが、急に無傷の人が突然苦しみ、
死ぬことは、医者として静かに、深く考えさせられたとのこと。

口内出血、悪心、嘔吐、血便、紫色の斑点。

ミネラル栄養論を治療に実践

原爆の後遺症があることに気付いた秋月氏は
対策として、
塩気の強い玄米のご飯と
塩辛い味噌汁と作って提供した。

甘いものは避けるように。砂糖は絶対にダメ。

と指示を受けた。

それは、石塚左玄氏の
桜沢式食養学を学んで
自分なりに工夫した形…(p135)

と著書に書いてあった。

そこで要諦になったのは
食塩のお陰であり、
秋月式栄養論の成果であったと
書いてあった。

読んだ感想

原爆のことを医師の立場から
生の言葉で書かれていました。

高校の修学旅行で
長崎の平和公園に行ったが
このようなことがあっての、平和公園なのだなと
実感。

高校の時にもっと勉強しておけばよかったかな(笑)

…ってか、教科書ばっかの勉強より、
こういった興味のあることは学習意欲がわきますね。

長崎の原爆のことをしらべたら、
永井医師という方

http://base.mng.nias.ac.jp/k15/Nagai.html

浦上天主堂がなぜ保存されなかったのか?

というのを見つけた。

机上の勉強は今思うと楽しくなかったというか、楽しめなかった…。

後で悔やむと書いて後悔ですね。

あと、だれか偉い人が
『本を読むことは、その著者と時空を超えて
話したり、つながることができる』

と言っていたのを思い出した。

興味がある本を読むことはいいですね。

…とても、小学校の夏休みの読書感想文を
テキトーにあとがきの部分をまる写しして書いた自分とは
大違いですね(笑)

高校時代は若いな~

高校の時の修学旅行の写真があったが
今見ると、懐かしいし、自分若いな~(笑)

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