大阪城を見て感じた、築城を決意した豊臣秀吉の崇高な理念
- 2013/06/10
- 勉強になったこと
大阪城は秀吉の崇高な理念の元に建てられたものだと感じた。
大阪城を出張の際に見た時に感じた事があります。
大阪城を建てよう!と決意した、豊臣秀吉は何をこの城に求めたのでしょうか?
息子の豊臣秀頼を守るための堅強な砦でしょうか?
黄金の茶室などの権力誇示のためでしょうか?
自分は本を読んで、『なるほど、この様な考え方があったのか!!』と気づきました。
豊臣秀吉は崇高な理念の元にこの大阪城を築き上げたのです。
『このお城が大阪の街であり、大阪の街が大阪の城である。そんな民との思いを作って行きたい!!』
と大阪の街と大阪城が2つで1つという理念で大阪の街を作ったのです。
そんな思いが形になって、川が多い大阪の街が商売が盛んな街になったのですね♪
いつ見ても大阪城が立派なわけですね。
人たらしとまで呼ばれた、人の心を掴む天才の秀吉さんはスケールが大きいですな♪